KAN、大橋純子、チバユウスケ……相次いだ音楽家たちの退場はJポップ思春期へのレクイエムだった【宝泉薫】
連載:死の百年史1921-2020 第18回【2023(令和5)年】
また、ライブ中に脳内出血を起こし、搬送先でそのまま息を引き取ったのがBUCK-TICKの櫻井敦司だ。レコ大では、88年に新人賞、91年に優秀アルバム賞を受賞。冒頭で触れた音楽シーンの過渡期に現れ、のちのヴィジュアル系ロックに大きな影響を与えた。
とまあ、ここまで挙げたのはレコ大で特別功労賞を贈られた人たち。それ以外にも、Jポップの誕生前からその成長過程を支えた音楽家が何人も旅立った。
シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠や頭脳警察のPANTA、ムーンライダーズの岡田徹、X JAPANのHEATH、 THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのちThe Birthdayのチバユウスケといった面々だ。
このうち、鮎川とPANTAは昨年2月に「頭脳警察 x シーナ&ロケッツ対バンライブ」を行う予定だったが、両者の死により幻となってしまった。
そして、HEATHとチバユウスケについては、大晦日の「NHK紅白歌合戦」でそれぞれ追悼される場面があった。
まず、前者については、世代やジャンルの近い仲間たちとともに出場したYOSHIKIがこんなことを口にしたのだ。
「X JAPANのギターのHIDE、ベースのTAIJI、そして今回、HEATHが旅立ってしまって。自分はなんでまだ生きているんだろうと、生きてていいのか、そんなふうに思っているんだけど。だけど、ね、こうやって今日、素晴らしい仲間たちが集まってくれて、ファンのみんなに支えられて、頑張っていられるんだっていう、そういう思いを今からみなさんに伝えられればと思っています」
かたや、後者については、10-FEETのTAKUMAが間奏に入ってすぐ「SLAM DUNK!The Birthday チバユウスケ!」と叫んだ。自分たちが歌っていた「第ゼロ感」が映画「THE FIRST SLAM DUNK」のエンディング曲で、同映画のオープニング曲「LOVE ROCKETS」をチバのThe Birthdayが担当した縁を思いながらのシャウトだ。さらに「LOVE ROCKETS」の一節を即興で歌うことまでした。
このパフォーマンスについて、TAKUMAはこう振り返っている。
「直後にNHKの担当の方が舞台袖に待っておられて『出禁かな』と思ったらリンクから上がるフィギュアスケート選手を抱きしめるコーチのような顔で褒めてくれました。めちゃ嬉しかった」
そういえば、チバにも有名な生放送でのエピソードがある。2003年にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとして「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)に出演した際、ロシアの女性デュオ・t.A.T.u.が出番をドタキャン。すでに1曲、演奏済みだった彼らがもう1曲演奏して、空いた時間を埋めただけでなく、のちにタモリが語り草にするような盛り上がりを生み出したのである。
さて、最後に話をKANに戻そう。公式SNSでの最後の発信は死の5日前、こういうものだった。
「The Beatles【NOW AND THEN】(Official Music Video)やっと観た! やぁ・・・、いろんなことが素晴らしすぎて書き尽くせない。エンディングも美しいですね」(原文ママ)
昔のデモテープから、最新技術を使って作られたビートルズの「新曲」のMVについての感想だ。彼の音楽的原点はクラシックピアノだが、大衆音楽に関してはビートルズ。中3のときには「ミートルズ」という、ビートルズのコピーバンドを結成したりした。
そんな彼が人生の最期に、こういう言葉を残したこと自体が美しい。また、昭和後期の大衆音楽がビートルズをはじめとする英米のポップスやロックの影響を受け、その帰結したかたちがJポップであることを思えば何やら象徴的だ。
なお、彼が所属したアップフロントグループの前身はヤングジャパンで、フォークやロック系の芸能事務所だった。アリスや海援隊、佐野元春らが巣立ち、アップフロントに変わってからは森高千里、シャ乱Qが成功。その後はモーニング娘。を大ブレイクさせ、ハロー!プロジェクトのブームを生み出した。
そのモー娘。やAKB48の振り付け及びダンス指導をそれぞれのデビュー時から手がけた夏まゆみも昨年、帰らぬ人に。KANと同じ61歳だった。
こういった数々の音楽家の死は、Jポップの「思春期」いわばその若き日々へのレクイエムのようなものだった、という気もしてならない。
文:宝泉薫(作家、芸能評論家)
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